ある程度勉強できる子が大学まで行くとこういう壁にぶち当たる。
「何もしたいことが見つからない」
こうなってしまったのも無理はない。
今まで与えられた物事を一生懸命勉強してきたから、与えられるものがなくなったらどうしていいか分からなくなる。
例えば、いつも親鳥がもってくるエサをひなは待っていて、それを当たり前だと思っているが、そのエサを親が持ってこなくなったらどうしていいか分からなくなるように。
つまり、既存のものを理解したりする力は十分なほどあるが、自分から何かを作り出すことは慣れていないし、そのことの重要性に気づけない。
言ってしまえば、勉強なんて時間をかければ一定の成果は出るものだし、点数や評価もそのときの頑張り度くらいなもんで価値もない。その勉強内容だって今日まで使える知識・技能はどれくらいあるだろう。また、勉強は何歳からでも遅くない。それは、大人になってもだ。たとえ目の前のタスクに振り回されてもその重要性に気づくことができれば、いくつになっても身につけ、成長することができる。
余談だが、よく大人が子どもや学生に「自分はあまり学生の頃に勉強してこなかったので後悔している。だから、今のうちにしっかり勉強しときなさい。」と言う場面を見聞きしたことはないだろうか。もしくは、そう子どもに言ったことがある人もいるかもしれない。私から言わせてみれば「そんなこと言っているようでは、また学生になったとしても勉強しない。」そういう人は勉強は今からでもいくつななってもできるんだというマインドが足りない。過去や未来の想像をするくらいなら、今から動くべきだと思う。
一方で、好きなことを見つけるということはどうだろう。
好きなものとは、時間を忘れるほど熱中して打ち込めるものだ。
好きなことを見つけることは自分から何かの価値を見つけるまたは生み出す行為であり、自分主体で進むことができる。与えられたものをこなすことより、ずっと意味のあることである。
こんな大事なことなのにその重要性に気づく人は限られる。また、気づいていても目の前のタスクに振り回されてその重要性を忘れてしまう。かくいう私も何回も目の前のタスクに追われ、考える時間を持てなかったことは何回もある。
でも好きなことを小学生のときから見つけていて、それを大事にしていたらどうだろう。
自分主体の価値を生み出すし、好きなことだから成長する力も十分ある。
それが大人になってもできていたら、自分の好きなことで自分で何かを生み出すという思考ベースで物事に取り組むことができる。それは、楽しくてやりがいもたくさん感じられる。
ここまで話せば、勉強できることと好きなことを見つけることどちらの方が幸せに生きるために大事なことだか分かるだろう。